ポリエステルのブログ

毎晩見る夢が私の先生です。

紙の本が好きなのに電子化した理由

私は紙の本が好きだった。
装丁や帯も好きだし、本を開いてすぐの色紙(見返し)が好きだった。
それに、どこに何が書いてあったか、ページの厚さで覚えていて、前のほうにこんなことが書いてあったはずとか、そういう覚え方をしていた。1度読んだ本をペラペラとめくっていると、偶然目に入ってくるキーワードが色々なことを思い出させてくれる。紙の本にはそういう利点があると思っていた。
 
だからこそ、反対に紙の本を電子化したいと思っていた。
電子化することで、「本はやっぱり紙がいい」という凝り固まった自分の価値観を壊せるからだ。上記のような利点は、単なる習慣でしかない。慣れとは「死」だ。
本のにおいや質感なども、本質ではなく、その周りで漂う飾りだ。本や知識はもともと非物質なのだから、物質の中に閉じ込めておくべきではない。
 
かつて、古代の最大の知の宝庫だったアレクサンドリア図書館は焼失したが、それは今でも非物質界にあり、どんな書物も失われていないという話がある。本とはそれを目で読めるようにしただけのものだ。本が燃えても、知識は失われない。私は毎晩、夢の中でこれらを微量ずつ読んでいる。
 
電子化して、もしデータが消えたらと不安になる人もいるようだが、紙の本も燃えたら終わり。データが消えるのと、紙本が燃える確率は、よくよく考えるとそんなに違いはないと思うが、なぜかデータは消えると思っている。それにデータは常にコピーしておくのが常識だ。本は全て2冊ずつ別の場所で保管するのは大変だが。
 
紙の本を電子化するには、本を切断することになるが、これを無礼だと思っている人がいる。本とは装丁なども含めて本なのか、それともやはり中身が大切なのか。突き詰めて考えれば後者だ。中身を真に受け止めることと、本棚に飾って眺めることの違い。もし中身も装丁も大事なら、それは結局「飾り」も好きな人なのだ。「本質」以外も大事にしたい。それは人生の様々な局面でも同じ。

本来は、本がなくても知識はなだれ込んでくるものだった。私はそういう世界に住みたい。紙本の電子化は、それに少し近づくようなイメージがある。
 
電子化の利点は、部屋が広くなること、重い本で首が疲れないこと、ワード検索できること、端末1つに大量の本を入れて持ち歩けること。私は電子化を代行してくれる業者に頼んだが、なかなかよかった。

繰り返しになるが、私は紙の本が好きだったからこそ、電子化しなくてはいけないと思った。これからもそうやって、この世の習慣を手放してゆきたい。
髙木志